2012年3月29日木曜日

ついにボイトレを始動

K口さんの紹介でボイトレに通うことにした。
まずは今日の会社帰りに30分の体験レッスンに出かけた。

笑顔がまぶしい女子先生(苦手なタイプ)とのマンツーマン。
腹式呼吸、発声、滑舌のレッスンを粛々と進めながら、声のクセなどを指摘してもらう。
その中に膝を叩くことがあった。

「かきくけこ」という発声をやらされた後、上唇がほとんど動いていないという指摘を受けたのだ。
鏡を見ながら発声すると一目瞭然。口を大きく開けていても、上の歯があまり見えない。
これは何を意味するのか。

これでは声がこもって相手に届かない、らしい。

そう指摘されると、確かに話をよく聞き返されることが多いということに行き当たる。
実は、ボイトレに通ってみようかと思案した理由の一つでもある。その打開のヒントになる指摘だと思った。
スペシャリストならではなんだろうな。ということで入会を決めた。

◎滑舌をよくしたい。
◎通る声を身につけたい。
◎表現力をつけたい。

入会動機にはそう書いた。

実はこれまで、ボイトレの効果なるものを疑っていたふしがある。
いやいや、正確に言うと費用対効果、だ。
以前調べたときの「高い!」というイメージから検索さえしてこなかった。

であれば、本を読んだり、教室で情報交換したり、独学中心でなんとかなるのではないか。
事実、声がよくなりましたね、と言ってもらえることも増えた。
自分でも外郎売り、風呂場での発声など、自己流の訓練で少しずつだが向上していると思う。

ただ、ただである。
K口さんのスピーチの声を聞いていると、いつも根本的な何かが違っているような気がするのだ。
鴻上尚史ふうに言えば声の演出力が圧倒的に違う。
スピーチの内容以前に声だけで聴かせるところがある。
朗読をやるとこうも違うのか。そう想像していた。
そこで聞いてみたところ、実はボイストレーニングに通っている、ということを教えてくれた。

声のアドバンテージについて思いを強くしている昨今である。
話を聞いてからは迷いなく体験レッスンを申し込んだ。
スクールを主催にしているのが自分も参考にしている本の著者だったこと、月2回30分であれば許容できる料金だということも大きい。

ただ受け身になりすぎないよう、それだけは肝に銘じて、新しい恥をかく場を見つけたと考えたい。

2012年3月12日月曜日

人を励ます。

人を励ます。
そのことに意識が向いたのは震災以降だった。
被災者のために自分は何ができるのか。考えれば考えるほど、すべての行為が自分に対する癒しのように思えて、後ろめたさでがんじがらめになったこともあった。義援金を送ったのも、ボランティアに出掛けたのも、黙祷したのも、誰のためでもなく自分のため。素直に認めがたいが、実際そうなんだろう。気づいたときは愕然とした。

一方、後ろめたさの代償行為ではなく、もっと身近な、縁があって付き合っている人たちに、言葉をもって「励ます」という意識がわいた。これは話し方を学びはじめたことが大きい。

今日のC教室で学んだ「表現の原則」に、いみじくも肯定的な表現は相手の自尊心を尊重する表現だ、という内容が含まれていた。まさにそういう意識が高まったんだと思う。

多くの人にとってこの一年は、自分の人生観を総点検する年になっただろう。一方で、どのような言葉を使うか、瞬発的な選択を迫られた時期があったように思う。
テレビやネットでは剥き出しのネガティブ・ワードが溢れた。その過激な言葉に触発された多くの人たちが、その言葉を日常で繰り返す。

確かに理不尽なことは多い。政府、東電、原発に対しては誰もが一家言を持つだろう。
しかしその「呪いの言葉」は、発した人自身をも疲弊させていくようだ。実際、自分がそうだった。震災にまつわる否定的な言葉の蓄積が、自らのメンタルをどす黒く侵していく。

厄介なことに、そのモードは我々の日常にも引き摺られているように映る。
この現状は、自らの言葉までも再点検して意識しなければ修正できないのが実感である。負のスパイラルを止める手立てとして、手に入れた「肯定的な表現」を柔らかな武器として今後も使っていきたい。

あ、柔らかな武器っていい言葉かも。

2012年3月11日日曜日

タイムキープという気遣い

N教室のK川さんが読んでくれるということで久しぶりの更新。


憚りながら、話し方教室のタイムキープは参加者への気遣いとしてかなり優先順位が高い事項だと思うのだ。例えば、こんなようなケースに実によく遭遇する。

・3分スピーチの実習で残り時間10分。
・まだ3名が終わっていない。
・それまではスピーチ後に複数の講師が論評。

これは教室を限定しない。多くの教室の日常である。
この状況でどういうタイムキープが採用されているか。
経験上、残り10分の過ごし方として、一番多いのはおよそ2名がスピーチを行い、その場にいる講師全員が論評を行うパターンだ。残りの1名は何もできないまま終わるというケースが多い。
講師は残り10分だと気づいていないか、あるいは気づいていないように振るまっているように映る。気づいているのは受講生だけ。しかし当事者になると言い出しづらいのだ。

しっかりタイムキープしてくださいよ、なんて言えない。ものは言いようというように何かしらあるとは思うけど……。

ただ自分だったらと、シミュレーションはできる。
自分が考える次善策は、2分スピーチにして論評を講師が一言ずつ行う。はたまた3分スピーチのまま論評は行わないというもの。それぞれ制限時間オーバーを想定して、残り時間を告げてやんわり釘を刺すことが前提。後者のケースは、その場で論評しなくても、帰り道で論評を伝えることだってできると思うから。

本当の最善策はそういう状況にならないようにするということだ。
とはいえね、これ、言うは易く行うは難し、なんだということを忘れていけない。
これもまた貴重な学びということで。