2011年11月30日水曜日

課題の棚卸し_12月に向けて

ついに明日から12月。
世間的には仕事の総決算だが、自分にとっては話し方の総決算の月だ。
話し方教室に通い始めたのは今年の一月。仕事で部署が異動になり、時間に余裕ができた今だからこそ、とりあえず「一年頑張ろう」と考えた。
続くとは思っていた。なにしろ切実だったから。教室で仲間たちに出会えたのもモチベーションになったのだろう。

話力を高めるための知識と場数を得たことで心に余裕ができたのが大きい。どんな状況にもなんとかなるだろうと思えるようになった。つまるところ人前に出たくないな、話したくないな、というネガティブな感情が湧かなくなった。
成長するために何をすればいいのか、話し方の基本と学び方がわかったのは本当に大きい。
しかし、だからと言って、これでよしとするレベルではない。

一年より二年、二年より三年、やればやるほど成長できるという手応えを得た。
今後いつ仕事が忙しくなるかわからないが、やはり、この一年は通過点と考えたい。

ということで一年の総括もするつもりだけど、まずは12月に向けて話し方の課題を整理してみようと思う。着実に訓練していくべきポイントは、声、話術、描写、メンタル、姿勢、ロジック、司会、傾聴、ユーモア、ボキャブラリ、話材収集、自己分析……。

出揃ったのは12項目。順番に点検していく。

①声
舌の体操、外郎売りの暗唱を引き続き日課に。
表現よみと活弁で違う角度からアプローチを試みる。

②話術@強化月間
本当は嫌だけど小泉進次郎のシャドーイングをしよう。背に腹は変えられない。
まずはとにかく間を意識すること。そして冗語をなくすこと。これまではスピーチ実習で意識しようとしても直前で忘れがちだった。他を差し引いても徹底したい。

③描写
いきなり実習で使うというよりは日常会話で習慣化していきたい。
習慣化している人と会って話す。
ト書きに着目してシナリオを読むのもいいかもしれない。人間理解にも繋がる。

④メンタル
とりあえず関連書籍から独学。この一週間は集中読書。

⑤姿勢
週イチの朝活でよぴさんに教えを乞う。教え方が上手いから信じよう。
通勤中は強化タイム。

⑥ロジック
K口さんの関心事に乗っかってマインドマップを学び直す。
K川さんに相談してみようか。

⑦司会
今年も忘年会の幹事が多いから実践で意識する。

⑧傾聴
研究会にちゃんと参加する。
組み替えの訓練をなんとか日常に落とし込みたい。
会話でリピティションを積極的に取り入れる。

⑨ユーモア
サラリーマン川柳と落語。
とりあえず寄席に行こう。足が遠のいてしまったけど話術の勉強にもなるだろう。

⑩ボキャブラリ
ことわざと擬音語擬態語。
せっかくブックフェスティバルで買った辞典を活かなきゃ。

⑪話材収集
自分なりに手応えのあったスピーチは形にしておきたい。

⑫自己分析@強化月間
そういえば人生年表ノートを放りっぱなしにしている。
交流分析は話し方教室の特別講座を活かす。

その他にも、意外に基本がおざなりになっている電話応対、
企画書やビジュアルイメージを絡めたプレゼン、
洞察力を高めるために、情報リテラシー、人間理解も今後ポイントに加えていきたい。

2011年11月29日火曜日

声は鍛えがいがある

「声がいいですね」と褒められることが増えてきた。
素直に喜ぶべきだが、ほとんど話し方教室の受講生からというのは気になるところ……。
皆さん、褒めるの上手いからね。
とはいえ、自分でもその実感はあるのだ。

舌の体操を習慣化したこと、外郎売りを暗記したことの成果だと思う。
特にスピーチ実習では意識せずとも通る声が出るようになった。

会話レベルでは、まだ聞き返されることがある。
油断してしまうのだろうが、これはがっかりする。
冷や水をかけられるような気分になる。
いかんいかんと思うのだが、まだ意識しないかぎり難しい。
無意識レベルで変えられるようにクセづけなければ。

周りに聞こえないようにという、気配りなのか、恥ずかしいだけなのか、その意識も返って邪魔をしているだろう。カフェや電車内なんかで、大声で話しているおじさんのデリカシーのなさがうらやましい、本当に。

ともあれ声を鍛えるのは、筋肉を鍛えるような単純作業の繰り返しという部分がある。
訓練すればするほど成長できる。成長が実感できるというのはうれしいもので、ある程度出るようになればいい思っていたのに、どこまでやれるか試してみたいと考えている今。
他の課題も山積なのにね。

今週末は表現よみフェスティバル、活弁ワークショップに参加する。

2011年11月28日月曜日

なんてアサーティブ

コールドプレイ、演奏を中断してタンバリンを振っていたファンに「やめてほしい」と注意
シネマトゥデイ 11月28日(月)10時36分配信

英ザ・サン紙によると、コールドプレイが「The Scientist」を演奏していたところ、クリス・マーティンが歌を歌うのを突然やめ、ファンに声をかけた。「無礼な態度を取るつもりはないが、これはタンバリンを使うような曲じゃないんだ。正直言うと、この曲のレコーディング時にはタンバリンも試したけどボツになった。だからタンバリンなしで10年以上演奏をしてきた。合うかもしれないけど、僕はタンバリンなしに慣れてしまっている。悪く思わないでほしい」とステージからファンにやめてくれるよう呼びかけた。

WENNによるとタンバリンを振っていたのは女性だったとのこと。「ここから君がどんな人かは見えないけど、とても素敵な人で、いい音を出していると思う。別にタンバリンが嫌いとかアンチ・タンバリンを訴えようとしているわけじゃない。タンバリンは僕のお気に入りの楽器のひとつだ」とクリスは彼女の気持ちを傷つけないよう、優しくタンバリンの伴奏をやめてくれとお願いしたあと、「次の曲はタンバリンにばっちりの曲だから、思いっきり盛り上がってくれ」と付け加えたという。(澤田理沙)


アサーティブとは、自分も相手も大切にした自己表現だが、このニュースはまさにその見本のようなケースである。
僕はこういう状況で自分の意見を通すことができない。
相手に不快な思いをさせてしまうと思い、じゃあ言わずに我慢すればいいやと考えてしまう。
嫌われたくないという心理が働くのだろう。
でも、こんなふうに言われたら相手も大切にされたという気持ちを持つよね。

2011年11月27日日曜日

態度は意外な落とし穴

今日の教室では話をするときの態度の重要性を学んだ。
人のスピーチや、日常での何気ないやりとりの中で、態度が落とし穴になって印象を悪くしていると気づくことが意外に多い。まばたきの多さ、体の揺れ、ゴミ箱を足でどける、電話の受話器をガシャンと置く……。
かくいう自分はどうなのだろうか。もし当てはまることがあるとしても、特に会社では誰も指摘してくれないだろうな。そう考えると怖いが、自分で気をつけるしかない。

なぜ態度が重要なのか? このような話で定番の根拠は「メラビアンの法則」だろう。これは、初対面のときにその人の印象を決定づける要素を分析したもので、以下のような分析結果が出ている。
見た目などの視覚情報…55%
声や口調などの聴覚情報…38%
話の内容などの言語情報…7%

つまりは言語以外の部分が9割以上。そこにヒントを得た名前の本も出ている。
では、嫌な態度とはどんなものだろうか? 講義では以下のような
①威張った態度
②卑屈な態度
③馴れ馴れしい態度
④相手を無視した態度
⑤投げやりな態度
⑥場に合わない態度

中でも④相手を無視した態度が一番腹立たしいと先生はおっしゃっていたが、実感でもその通り。
人の振り見て我が振り直せ、と自戒をこめたい。

▼本日の学び
◎実習スピーチは、オチより主題に重きを置かないと積み上げがない。
◎できあがったスピーチ自体からさらに何を学び取れるか、という作業が主題を深める。(U田さん)
◎リポートトークと早口と間がないことはセットかも。

2011年11月26日土曜日

即題:春の思い出

今日の話し方教室は即題のことを書いておこう。
即題とは文字通り、その場でお題を与えられて即興でスピーチをする訓練を指す。

今回、僕に与えられたテーマは春の思い出。
いつもより考え込んでしまった。
浮かんでは消し、浮かんでは消し、オチがつくものがなかなか浮かばない。
30秒ほどその場でウンウン悩んだ挙げ句、出てきたのは大学の卒業式のことだった。

皆さん、改めましてこんにちは。○○です。
大学の卒業式のことです。私は○○の部活と、あと○○研究会というサークルに入っていまして、その後輩がお祝いに花束を持ってきてくれました。
で、私の人生の中で花束をもらうなんてことは初めてだったので、あのー、非常にこううれしかったんですね。で、それぞれのサークルから花束いただきまして、花を抱えながらゼミの同期に「それどうしたの?」って言われて、「いやー、後輩が持ってきてくれてさ」って別にいいのにっていうニュアンスで伝えたんですけど、でも本当、心の中ではものすごくうれしくて、あのー、本当、みんなに見せびらかしながら帰りたいぐらいうれしかったんですけど。まぁそれで帰る段になりまして、電車に乗って家に向かうとなったときにですね、その花束を忘れてきてしまったんですね、電車の中に。で、それ気づいたときは本当に心臓がバクバクしまして、もうすぐに電話して、それで「ここに忘れ物が溜まっているから取りに行ってください」というふうに言われて、それで取りに行ったんです。それで実際そこの係の人に言いまして、そこに連れて行かれましたら、花束がすごいたくさんあるんです。
であのー、自分がもらった花束がどれかわからなかったんです。それであのー、記憶に残っていたたぶんそうだろうというものを持って帰ったんですけど、今でもそれが本物だったのか自信がありません。以上、春の思い出でした。ありがとうございました。(2分8秒)

こうテープを起こしてみると、つたないなぁと思う。
主題がない。オチのあるドジなエピソードを話した、というところか。
まぁでも即題だから及第点。

スピーチの四条件は以下の通り。
①主題が明確であること
②例(例話)が鮮明に印象づけられること
③構成がしっかりしていること
④主題に深みがあること

オチより主題と、主題の深めに考えを向けるべきだったかもしれない。
浮かれすぎてはダメ。物より気持ちが大事(屁理屈)。もらってうれしかったくせに、その花束を思い出せないという矛盾に人間のおかしみを感じてもらう。……。

▼メモ
◎出だしは、朗読検定の課題だった『杜子春』の冒頭「ある春の日暮れです。」に似ていた。無意識に活かせたのだろうか。スムーズに入れた。
◎描写が足りない。ゆえにジェスチャーも少なく臨場感がない。
◎花束に色を加えるとイメージがさらに広がったかも。
◎笑いがとれた直後は間を入れるべきだった。

▼本日の学び
◎S藤さんの即題:年末の思い出より。「一度だけ、家族と年末を過ごさなかった年があった」というドラマ性を感じる切り出しが興味を引く。その後に続く、その年はこうこうこうする予定だった。ところが……。「ところが」が効いている。失敗談を語るフレームとして参考にできる。寂しい曲(オフコース「さよなら」)が流れていたというオチも秀逸。泣きっ面に蜂だけど、悲壮感がないどころか、むしろ楽しい思い出を聞いたように受けとれたのは、S藤さんの明るさがなせるワザ。

2011年11月25日金曜日

口調の大切さ

話し方教室で10分スピーチがあった。
初めての体験だった。
普段は3分。

このいつもの三倍強のスピーチ体験で気づいたのは、口調の大切さである。
終始、淡泊でフラットな調子になってしまったのだ。ただ話しているだけの、型通りの口調。守りの口調と言っていいかもしれない。自分としか向き合っていない。これでは聞き手を置き去りにしてしまう。

大きな理由は準備不足だろう。話す内容を自分の中に落とし込めず、それを悟られないよう無難にこなそうという保身が働いていたように思う。
もちろん話材に対する関心で引っ張れる部分もあるだろうが、他の受講生には口調で飽きさせないところがあった。準備不足でも、話し方によって楽しませることができるということに気づいた。

切り出しの調子が尾を引くということもよくわかった。低いトーンで入ってしまい、それが表情を固くしたのか、場に少し緊張感をもたらしてしまった。時間が長いぶん、徐々にテンションを上げて立て直すこともできるのだろうが、今回は話す内容を追うのに精一杯。そこに意識が及ばなかった。

気を込めることをもっと意識する必要があるかもしれない。
気合いで口調がどうにかなるかも、実験してみたいところだ。

ちなみに話題は、夏に通った「傾聴」を学ぶ講座について。
傾聴とは何か?に始まり、受講のきっかけ、具体的な傾聴スキルの一例としてリピティション(繰り返し)、傾聴を学べる本『ピア・カウンセリング』の紹介という流れで話した。

スピーチ後のいくつか質問で、狙い通り、興味を持っていただけたことがわかった。
話材としてあっていただけに、もっと心をつかむスピーチにする方法はあっただろう。

▼本日の学び
会場の一人一人に語りかけるように話す(A瀬さん)
その話題で不快になるかもしれない人への気配り、お断り(A瀬さん)
普段見落としていることへの眼差し(K見さん)
常識を揺さぶる話材の意外性(Y部さん)
恥ずかしい失敗談を披露する勇気(O村さん)
江戸っ子らしい小気味いい口調(I原さん)
滑らかなジェスチャー(I原さん)

2011年11月22日火曜日

あがりとあがり症について

前回紹介した、新田祥子さんのYouTubeの中身を簡単にまとめてみた。

◎あがりとは何か?
他者からの評価に対する脳の防衛反応(本能)。私たちがあがりを認識するのはドキドキ、声の震え、発汗、体の震えなどが他人に見えているのではないかという意識が働いている。つまり、他者からの評価を恐れている。内的反応であり、他人に見えないのに、見えていると思い込んでいる。あがっていると思われているのではないか。他人の評価を気にしながら何を守っているのか。それは自尊心である。
他者からの評価を気にして自己否定し、自尊心を守るために自己肯定しようとしている。自己否定しながら自己肯定しようとする内部葛藤が起きている。自分に過注目してますますあがる。ますます自信がないという状況が作られ、自意識が敏感になる。悪循環が形成される。

◎あがり症とは何か?
脳の条件反射。人前で話すことを想像するだけで身体症状が出てしまう。

◎あがり症の克服とは? 
条件反射を遮断しない限り、どんなに場数を踏んでもあがり症克服のスタートラインには立てない。あがり症が脳の問題であることを理解して実践しなければならない。ドキドキしながらの場数はドキドキして話している記憶の上書きしかできず意味がない。学習とは記憶の上書きである。あがらない記憶を脳に学習させてから、ドキドキせずに話す場数を増やす。
つまり、あがらない脳をいかにマネジメントするかを考えるべきである。脳をいかに安心感で満たすか。それがあがり症克服のゴール。脳内に不安感情を記憶しない。不安感情の強さが心臓をドキドキさせる。極度の恐怖心で身体症状が出てしまう。あがり症の克服とはいかなる場所でもドキドキせずに話せること。例えば、3日後にスピーチがあると予期したときにドキドキなどの身体反応が出ない。条件反射を遮断して、新たなあがりを作らないことが必要である。
理論+実践で脳を安心感で満たす。それによってあがり症を克服できる、というのが新田祥子さんの考え方。

新田祥子ブログ:セルフコンフィデンス
http://gomari.cocolog-nifty.com/selfconfidence/

2011年11月20日日曜日

あがり症は場数じゃ治らない

自分があがり症であることをはっきり意識したのは話し方教室に通ってからだった。

同じ時期に話し方教室に通い始めたK川さんは、年齢も出身県も同じ、性格や関心事も似ているなど何かと共通点が多い仲間である。(同じ日にNew Balanceのまったく同じ靴を履いてきたときは心底ビビった)

そのK川さんは、教室での自己紹介で入会したきっかけを、あがり症を克服するためだと語った。

あ、自分もそうだ。

僕がこの教室に参加したのはなぜだろう? そうあらためて考えたとき、会社の朝礼で3分スピーチが始まっただとか、営業の仕事に活かしたいだとか、さまざまな理由が浮かんだ。確かにそうなのである。ただ、果たしてそれが切実な理由だろうか? 今思えば、どこかで体裁よく取り繕うとしている自分がいたのではないかと思う。

やはり根本にあるのはあがり症だろう。この厄介者と30年以上も付き合っているのだ。そうタイピングしている間にも、過去の数々の失敗談が顔を覗かせようとする。

なぜ素直に「あがり症を克服する」という理由が浮かばなかったのだろうか。やはり、あがり症を人に見せがたい弱味と感じて、格好をつけている自分がいるのではないか。
K川さんの何気ない自己紹介は、自分と向き合う覚悟の必要性を気づかせてくれた。もっと自分をさらけ出していかねば。

さて、そのKさんがいい本を読んだ、と言って教えてくれたのが新田祥子さんである。
新田さんは、セルフコンフィデンスというコミュニケーションスクールを主催しているあがり症克服のエキスパートだ。

あがり症に関する著書も多く、その中で、あがり症はけっして場数だけで克服できないと言い切っている。あがり症の理由は脳の条件反射であり、あがった状態で場数をこなしても学習効果がないに等しいとのこと。これは話し方教室に通い、場数に突破口を見出そうとした自分にとっても、耳を傾けなければならない指摘である。

そんな新田さんのブログをチェックしていたら、あがり症克服講座の様子として、あがり症の解説がアップされていた。明日以降、ここからあがり症克服のエッセンスを学んでいこうと思う。

◎「あがりは脳の問題である」について解説
http://www.youtube.com/watch?v=lTtw9NQMhgM

◎「あがり症のメカニズムと対処法」について解説
http://www.youtube.com/watch?v=WN45uzypJs4

◎「話し方とは何か」について解説
http://www.youtube.com/watch?v=XD7JM-AK6Qk

2011年11月19日土曜日

このあまりの棒読みぶり

朗読検定の課題を〆切ギリギリで提出した。
いや、本当に、もう、ダメっす……。
ICレコーダーに録音した自分の声を聴き、あまりの棒読みぶりに身悶えしながら、〆切ゆえに腹をくくらざるを得なかった。

杜子春の冒頭。
録音時間にして一分強の朗読課題。

検定を受けることで自分を追い込んだ。シロウトなりに朗読の上達法を学ぼうとするだろうという皮算用。
ならば、結果よりも過程が大事なはずだが、結局、ギリギリまで向き合うことができなかった。もっと早くから取り組んでおけば、と後悔するのは、何度となく繰り返しているが、それ自体も今後の課題だろう。

朗読に興味を持ったのは、自分の話し言葉に感情がこもっていないように感じていたからである。

棒読み。

話し方教室で3分スピーチの実習をしていても、話そうとする内容の記憶をたどるだけの棒読みになっている自覚がある。特に思い出しながら話すという状況ではフラットな口調になりがちである。声の抑揚、間に意識がいかない。聞き手に感情を伝えられていないように思う。

あがりや緊張、それに話材だって関係あるだろう。準備不足と言われればそれまでだが、表現というアプローチから打開できないかと考えたのだ。

話し方に表現力をつけたい。
朗読にはもう少し気を入れて向き合ってみようと思う。
そう考えると朗読検定の失敗で凹んでいる場合じゃないか。
成長のきっかけにしなくては。

2011年11月18日金曜日

重い腰をあげて

昨年末から会社で3分スピーチが始まった。
毎週一人ずつ月曜日の朝礼後に行われる。4-5ヶ月に一度当番が回ってくる。

どこで影響されてきたのか、社長のいつもの気まぐれである。
いや、意図も目標も示されないので、気まぐれに映るのだ。
何のためにやるのかだけでも説明しようよ、なんて言えないけどさ。

人前で話すのが大の苦手だった。
そのくせ学生の頃から人前に出るのが多い役まわりだった。
どうやって話していたのだろう。
大勢を前にして自分の話し方に意識がいく余裕はとてもない。
伝えるべきことを過不足なく伝えるだけで精一杯。
震える膝、全身が心臓になったように鼓動が高鳴る。
緊張が緊張を生み、あっという間に全身の血液を駆けまわる。
視線が定まらない。頭がぽーっとなる。
何度も恥をかき、うまくいかないことに苛立ちながら、何の対策もしてこなかった。

場数がもたらしたのは、洗練ではなく、苦手意識だけだった、と感じる。
貴重な体験から何も得てこなかった。
向き合ってこなかったのだから当然といえば当然。
体が成長いくように、話し方も自然と身につくものだと思い込んでいた。
そうではなかった。
目をそらしたまま、随分、遠くまできてしまった。

会社の3分スピーチがきっかけなのか、自分でもよくわからない。
昨年末、気がつけばウェブで話し方教室を検索していた。

話の苦手な自分を受け入れて、真剣に話し方と向き合おう。
重い腰をあげて10ヶ月が経つ。
人前で話すのはまだ苦手である。
ただ、そのことから逃げなくなった今、意識は着実に変わった。
 

毎週、スピーチに苦戦する同僚を見ながら、
出番にはみんなを驚かせたい、と思う自分に気づくほどに。