2012年7月14日土曜日

状況の意味を考える

iPhoneに入れた全データが消滅した。
しかも、保険であるはずのパソコンに取ったバックアップがエラーで戻らない。仕事はもちろん、スピーチに関するデータまで、3年間におよぶ蓄積が忽然と消えた。突然のことだった。

連休前の深夜だった。

何かの間違いだろう。パソコンの前で息が詰まる。深夜まで復元につとめるも空振りの連続。真っ白になった頭の中を埋めてゆく混乱。
翌朝からも、ひたすらパソコンの前で格闘した。softbankのiPhoneテクニカルサポートセンター、Appleのサポートセンターに電話。そして見放された。

まさか、どこかで復元できるだろう。そういう心持ちがあった。電話を切るたび、身体の髄から出てくるような熱で嫌な汗をかいた。食事も取らないまま、パソコンの前で思いつくあらゆる手段を試す。ワラにもすがる思いで掛けたデータ復旧会社からも無理の一言。
ようやく一息ついたときには窓の外は暗くなっていた。

スピーチ関連のあらゆる情報が入っていた。なかでもメモ、ボイスメモ機能はフル活用していた。上達のためのロードマップとその進捗状況、さらに読書メモ、アイデアメモ、これまでのスピーチタイトル、原稿……。HRでの、ほぼすべての講義録をおさめたボイスメモまで根こそぎ消えた。3年間におよぶ蓄積が水泡に帰した。

パソコンの前を離れた。外に出た。
状況を整理しようと思ったのだ。

宵闇をあてどなく歩く。すると頭に浮かんできたのは意外な結論だった。

これってそこまで大変な状況だろうか。
確かに、iPhoneがないと何もできないという中毒にも似た状況があったのは否定できない。蓄積してきたデータが消えてしまった今、利便性を欠くことになりそうだ。一方で、ヘンな解放感を覚えていて、これは何だろうと思う。

間違いないのは、三年間も蓄積したデータが消えたというのはターニングポイントになり得るということ。消えたのはデータだけである。経験ではない。このiPhoneデータ消去という“事件”が、誕生日の3日前に起きたことの意味を今は考えよう。

良くも悪くも状況の意味を考えるようになったのは、スピーチを学びはじめた副産物なんだから。

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