2011年12月25日日曜日

スロウ・リーディングという果実

『奇跡の教室』を読んだ。
サブタイトルは「エチ先生と『銀の匙』の子どもたち」である。

三年かけて中勘助著『銀の匙』を読むという国語の授業を実践し、神戸の灘高校を現役の東大合格者日本一に導いたという橋本武先生を紹介する内容。聞くところによると何度かテレビ番組で取り上げられたことがあるそうだ。『銀の匙』一語にまで徹底的にこだわり、横道に逸れながら、主人公とシンクロしていく。1ページ進むのに2週間かかることもあるという。

本屋で偶然手にしたこの本の購入は、スロウ・リーディングという言葉がフックになった。
効率重視の速読に魅力を感じてしまう我々だが、その方法で本当に本を血肉化することができるのだろうか?
実感としては否である。

情報を情報としてしか受けとらない上っ面の知識、言葉。

それは自分のスピーチ内容にも当てはまっていないだろうか。
事実の羅列、知識のパッチワーク。真実味がない。軽い。
毎回のスピーチで、主題を掘り下げながら仕上げられていないことに焦燥感がある。
誰でも思い浮かびそうなオチ。

今自分に必要なのは横道に逸れながらもじっくり着実に考える力を養うことではないだろうか。
話し方はその手段になりうる。そう信じている。

話し方を手段にして思考を深めていく、自然を感じ取る力を取り戻していく、事象をトコトン突き詰めていく。
橋本流スロウ・リーディングは、岡倉天心が『茶の本』で茶道を東洋的民主主義の神髄と語るように、オシムがサッカーを人生と語るように、一つのことを突き詰めると思考が本質まで届き、突き抜けることがある、ということを再発見させてくれた。

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